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2010.05.29

1999年の卓上野球機構はシナリオでプレイしてました

1999年は、シナリオでゲームをプレイしました。

まだ、本格的なペナントレースに発展するかどうかは、わからなかった頃のことです。

【シナリオ-1】悪夢の途中

IN THE MIDDLE OF THE NIGHTMARE

1.背景

1998年7月、日本プロ野球に前人未踏の大記録が打ち立てられた。6月から7月にかけて、千葉ロッテマリーンズが18連敗を喫し、1936年の大東京、戦後ではヤクルトが残した16連敗という記録を塗り変えたのだ。連敗中、フロントは守護神探しに国内外を右往左往し、近藤監督は先発の柱・黒木をストッパーに指名、あるいは一人一殺の投手起用を行うなどなんとか連敗を止めようとしたが、いずれも激流を小石でせき止めるに等しい行為でしかなかった。7月4日、パ・タイの15連敗。翌日には、プロタイ記録の16連敗に並び、試合後の記者会見で近藤監督は逆ギレ状態となってしまった。黒星の連鎖は7月9日に神戸でブルーウェーブに勝つことでようやく断切られたが、結局、マリーンズはシーズンを最下位で終えた。しかし成績は61勝71敗の借金10。首位西武が71勝61敗でしかなかったことを考えると、この18連敗を五分の星で乗り切っていれば、優勝のチャンスは十分にあったことになる。近藤監督は退任にあたり「もう少し強いチームで監督をしたかった」と語り、マリーンズファンの神経を逆撫でしたが、驚くべき事に98年シーズンのチーム打撃成績は1位、投手成績も2位であった。あの連敗さえなければと、誰もが考えたくなる。
とまれ、連敗は6月13日、マリンスタジアムでの対ブルーウェーブ戦で小宮山を先発に立て破れたときから始まった。まさかこれが長い悪夢の始まりになろうとは、そのときマリーンズの選手もファンも、誰一人として予想できなかった……。


2.期間

1998年6月16日~7月8日

3.プレイヤー数

2~6人。1人がマリーンズを受け持ち、他のプレイヤーが期間中のマリーンズ対戦球団を受け持つ。

4.勝利条件

(1)マリーンズ・プレイヤー :期間中の勝率を5割以上にする。
(2)非マリーンズプレイヤー :マリーンズの勝利条件達成を阻止する。

5.特別ルール

(1)シナリオ中、マリーンズはウォーレン、河本の2投手を使用できない。
(2)試合開始前の天候チェックは行わない。
(3)マリーンズの対戦チームは、日程表上の先発投手を必ず使用すること。
(4)マリーンズの対戦チームは、その連戦内で登板ルールに違反しない限り、どの投手を救援に登板させても良い。


【シナリオ-2】ゴルディオスの結び目

GORDIAN KNOT

1.背景

シーズン前半に猛威を振るったファイターズのビッグバン打線の威力が衰えると、パシフィック・リーグのペナントの行方は混沌としてきた。8月にはいって、ファイターズはかろうじて首位を維持していたが、下位チームの追撃は急であった。とくにバファローズは名にし負う「いてまえ打線」と守護神・大塚の大車輪の活躍で、8月16~23日までにブルーウェーブ、ファイターズに破竹の7連勝。ファイターズに0.5ゲーム差まで肉薄。さらにライオンズ、ホークスも5ゲーム差で首位を射程内に捉えていた。しかしいずれのチームもいわゆる「決定力」に欠け、ファイターズの不振につけ込み独走するだけのパワーはなかった。以後、10月に至るまで、ペナントを巡る長い長い混戦にもつれ込んだのである。それはあたかも、フリギア王ゴルディオスが戦車のながえをくびきに結びつけた結び目のごとく、容易にほどけそうにもなかった。果たして、アレキサンダー大王のように、この結び目を一刀両断する者は現れるのだろうか……・。

2.期間

1998年8月25日~10月12日

3.プレイヤー数

6人。各自がパ・リーグの1球団を受け持つ。

4.勝利条件

(1)ファイターズ、バファローズ、ライオンズ、ホークス:優勝
(2)マリーンズ: シナリオ終了時に最下位でないこと
(3)ブルーウェーブ:シナリオ終了時に単独で3位にいること

5.シナリオ開始時の順位

(略)

6.シナリオ開始前の先発投手

(略)


【シナリオ-3】星龍戦 

THE BATTLE BETWEEN STAR AND DRAGON

1. 背景

ベイスターズの38年ぶりの優勝なるか。シーズン終盤に向けてセ・リーグの優勝争いは俄然盛りあがりをみせた。7月以降、ドラゴンズは5ゲーム差前後でベイスターズにぴったりと追走していたが、8月、ついに首位を指呼の間に捉える事に成功した。8月21日からの対横浜3連戦を2勝1敗で勝ち越し、8月27日には1ゲーム差にまで迫ったのである。いまやペナント・レースは横浜、中日のマッチレースの様相を呈していた。決戦の9月を前に、中日・星野監督は選手に檄を飛ばした。「相手は38年も優勝していないチームだ。優勝の難しさを、骨の髄まで教えてやれ」

2.期間

1998年8月28日~10月12日

3.プレイヤー数

4~6人。1名が横浜、1名が中日を受け持つ。他のプレイヤーが、残った球団を指揮する。

4.勝利条件

(1)ベイスターズ、ドラゴンズ:優勝
(2)ジャイアンツ、スワローズ:Aクラス入り
(3)カープ、タイガース:納得のできる野球をすること

5.シナリオ開始時の順位

(略)

6.シナリオ開始までの先発投手

(略)

7.試合日程

(略)

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