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2007.10.28

APBAとSTRAT-O-MATICのこと

以前、事務局日記でSTRAT-O-MATIC(ストラト・オー・マティックと発音します)の歴史に関する本のご紹介をしたと思います。その後、少しずつ興味の赴くままに資料を読み散らしているのですが、APBAとSTRAT-O-MATICの現状(といっても6年ほど前のことですが)についての新聞記事をみつけました。て、いうか、APBA社のサイトに載っていたのですね。


冒頭のSTRAT-O-MATICの歴史に関する本「STRAT-O-MATIC熱狂者:アメリカの情熱となったゲームの予想外のサクセス・ストーリー」にも、この記事からの引用があることがわかりました。

STRAT-O-MATIC FANATICS を読んだときにも感じたのですが、両社の卓上野球ゲームは、さすが数十年の歴史を持つだけあって、かなり広く浸透していて、一種の文化にまでなっているのだなということが、改めてよくわかります。

そんなわけで、そんなに長い記事でもないので、皆さんにもご紹介したく、訳しました。読んでみてください。



私をボードゲームに連れてって

APBA STRAT-O-MATIC

野球と統計の結びつきは

地球上でもっとも楽しいもののひとつ

ニューヨーク・ニュースデイ紙 2001829日(水)

記事:ボブ・ハーツォグ

 

それは冬の恒例である。数百人の野球ボードゲーム熱中人たちが天候をものともせず、各自が選んだ礼拝所に集まる。STRAT-O-MATIC のプレイヤーは、グレンヘッドのロングアイランド駅のそばにある目立たないレンガ造りのビルの外に行列を作る。APBAプレイヤーたちは、ペンシルバニア州ランカスターの、もっと大きくて派手な造りの施設へと旅をする。彼らの使命は「近所で誰よりも早く、昨シーズンの成績を載せた選手カードを手に入れること」である。

どうしてそんなに夢中になるのか。「たかがボードゲームじゃないか」と読者は言うだろう。おお汝、サイコロと人間のパワーへの信仰薄き者よ。

冬の旅が終わると、お楽しみが始まる。たとえ夏であろうとも、プレイヤーは独り、あるいはペアで地下室や書斎で食卓やカードテーブルにむかい座り込む。そして数時間にわたり、バットの替わりにサイコロが鳴る、もうひとつの野球をプレイするのだ。

今月の初め、100人以上が遥かシカゴやトロントからランカスターへと向かった。APBA50周年記念コンベンションおよびトーナメントに参加するためだ。

「毎年みなさんは『聖地ランカスター』と呼ぶここへの旅行を計画されるのです。新しい野球カードを入手するためです」と語るのは、ビル・ボーデゴン。(START-O-MATICの)先輩格の会社であり今年50周年を祝うAPBA社のCEOである。

「私はかつて、こんな情熱や献身的愛情というものを目にしたことがありません。実に信じがたいことですよ。これが50年も続いているなんて」

同様のことが北東数百マイルにあるナッソー郡でも進行中であった。そこでは1961年創業のSTRAT-O-MATIC社の社長ハル・リッチマンが、40周年を祝っていた。

「毎年1月のオープニング・デイに、東部中から人が集まります。中には中西部から来られる方も。皆さん、『初日にカードを入手したい』と言われるばかりです。驚きです」とリッチマン。「午前1時には2時間待ちの行列ができて、私どもがドアを開けるのを待っておられます。ある年など猛烈な吹雪でしたが、百人くらいの姿がありました」

会社を始めた頃には、そんな行列はなかった。両社とも当初は資本が乏しく、野球関係の定期刊行物に広告を打ち、通信販売でゲームを売っていた。口コミが好んでとられた販売戦略だった。APBASTRAT-O-MATICのファンのブランドに対する忠誠心は高かったがその数は限られていた。で、秘密の情報交換というわけではないのだが、APBASTRAT-O-MATICのファンがたまたま出会うと、会話はたちまち数字やレイティングの話題となる。これは、門外漢からするとまるで暗号みたいに聞こえる。

現在でも、両社は活発に通販事業を行っているし、人気のあるウェブサイトやえり抜きの小売店チェーン(ウィザード・オブ・ザ・コーストやBCスポーツ・コレクティブルズ)に販路を拡大している。国中に数千の(ゲームの)リーグが組織されていて、公式かつ独自の定期刊行物(APBAジャーナルとストラト・ファン)には、ゲーム、プレイヤー、年次コンベンションやトーナメントの特集記事が掲載されている。

STRAT-O-MATICの宣伝方法は控えめである。いっぽう、ボーデゴンはAPBAを企業社会にリンクさせ、大金を投じての宣伝キャンペーンを計画中である。両社とも記念すべき2001年のシーズンを祝して、特別版を出している。STRAT-O-MATICはオールドタイマーのカードコレクションを売り出したし、APBAはカードと図表のデザインを改めた。

どちらにもコンピューター・バージョンの野球ゲームがあり、さらにバスケットボール、フットボール、ホッケーもある。APBASTRAT-O-MATICの社長は「将来の成功はコンピュータやインターネット上でのプレイと切り離せない」と言うが、しかし、NO1の製品であり続けるのは、統計的に正確で簡単にプレイできるサイコロとカードの野球ゲームであることも認めている。

リッチマンは言う。「両社はその初期に市場で優位を占めていました。競合がやってきては去り、いまでも優位を保っています。スポーツゲームでは両社の製品は古典となっているのです。モノポリー、スクラブル、クルーのようにね」

ゲーム業界の専門家の試算では、過去半世紀に2社が販売したゲームは100万セット以上という。STRAT-O-MATICAPBAのセールスを抜いたのは1980年代初めである。両社の統計によると、ゲームは「男のホビー」である。女性プレイヤーは全体の5%にすぎない。APBA STRAT-O-MATICはもっと若い年齢層をとりこもうと試みているが、プレイヤーの年齢の中央値は3545歳である。

APBA(アップバーと発音する)とSTRAT-O-MATICはスポーツ・ボード・ゲーム業界におけるフォードとGMであるが、関係は友好的である。お互いに相手の製品を賞賛し、敬意を払っている。リッチマンはAPBAの創立者でありゲームを発明し、1992年に亡くなったリチャード・シーツを「業界を立ち上げてくれた」と賞賛している。この業界が成長したのには3つの理由がある。

夢をかなえてくれる――ゲームはスポーツファンの願望を満たしてくれる。チームを所有、運営し、自分が応援するチームが実際より良い結果を残すという願望を。

リアルである――ゲームが基づいているのは、巧みに考え出されたビッグ・リーグの選手ひとりひとりを記号化したカードであり、それがサイコロの目とゲーム・チャートと結びつくことで、現実の成績と統計的に同じ結果を生み出す。

プレイがかんたん――野球ファンとしての知識があれば、30分もかからずにゲームをマスターできる。APBA愛好者 STRAT-Oマニアは、カードやチャートを暗記していることも多く、1試合10分から15分でプレイできる。

「カードで大事なことは、プレイヤーがそれを手に取ることができ、ドラフトやトレードができることです」と話すのはリッチマン。「それから、プレイには自分がサイコロを振り結果を決めるという行為とそこから生まれる興奮があります。コンピューターゲームは、こうしたものを与えてはくれません」

APBA STRAT-O-MATICのプレイヤーはまた、記録をつけるということについても、熱狂的な愛好者である。「プレイヤーは野球を愛し、また記録を愛するものです」

野球と記録との密接な結合においては、ボブ・ローゼン以上の良い例はないであろう。ローゼンは1955年以来のAPBA プレイヤーであり、同時にエリアス・スポーツ・ビューローのベテランスタッフでもある。エリアス社は、メジャーリーグ・ベースボールの公式記録を記録・提供している。「記録をつけるのは、APBAを楽しむうえでとても大きな要素です。最近、試合前のヤンキースタジアムのプレスボックスでローゼンは言っている。「どっちが勝とうが負けようが気にならないよ。私には申し分のない記録が残るからね」

ローゼンの40年来のAPBA仲間はロッキー・アヴァキン。小学生のころからの友人だった。アヴァキンが4年前に亡くなるまで、二人で定期的にプレイを続けてきた。二人はエリアス社でも同僚だった。休みを利用し、APBA1955年から1966年までの全シーズンをプレイした。ローゼンは独りでナショナルリーグのチームでプレイし、一方、アヴァキンはアメリカンリーグをプレイした。二人は週に一度はどちらかの自宅で会い、向かい合ってプレイした。「各リーグ6試合ずつ、12試合を一晩でプレイしたよ。4時間か5時間かかった」

アヴァキンが世を去ったとき、ローゼンは友のAPBAカードと記録のすべてを引き継いだ。二人はその仕事柄、綿密に記録をつけてきた。「成績をつけリーグ・リーダーを決めるんだ。毎週日曜にはプレス・リリースを書いたものさ。リアリズムと選手カードが統計的に正確なことは、ゲームの魅力を構成する大事な要素だよ」

ローゼンは、友を懐かしむ気持ちがとても強いと言う。「APBAをプレイしていると、アヴァキンのことをよく思い出す。サイコロを振り、誰かがすごいヒットをかっ飛ばす。そうするとアヴァキンに電話したくなるんだ。昔はそうしたんだよ。そうしてこう言うんだ。『何が起こったと思う、ロック』とね」

スポーツ界をみてみると、誰かしらがAPBASTRAT-O-MATICについての逸話を人に話すことに熱心だ。「ほんもののプロ野球選手になったと実感するのは、自分がSTRAT-O-MATICのカードになったときさ」と笑うのは現在ヤンキースのアナウンサーのケン・シングルトン。メジャーでの15年の球歴を持つヴェテラン。「カードになっている自分を見るのは、実に刺激的だね。子供がそのカードでプレイしていたりしたら、なおさらさ」

シングルトンには印象に強く残っているSTRAT-O-MATICのプレイがある。大人になってから、2年前、クリーヴランドでのヤンキースの試合が雨で2時間遅延したときのことだ。マジソン・スクエア・ガーデン放送網のビル・ドートリーは、熱心なSTRAT-O-MATICのプレイヤーで、彼の写真はSTRAT-O-MATIC本社に飾られているほどである。ドートリーはSTRAT-O-MATICのコンピューター版を携えていて、かつてAPBAのプレイヤーだったジム・カーツに、1965年のツインズでシングルトンの1979年のオリオールズと自分のノートパソコン上で対戦するよう勧めたのだ。「ホームランを打ったんだけどね、カーツが勝っちゃった。ゲームの結果は、試合遅延のあとの放送でしゃべったよ」

メッツのアナウンサー、ホウィー・ローズはフォックス・スポーツ・ニューヨークに所属しているが、STRAT-O-マニアのある例を自分から進んで話してくれた。

「親友の一人にロバート・ジョセフというのがいるんだが、彼が1966年の夏に、STRAT-O-MATICのことを教えてくれたんだ。私はもう夢中になってしまってね」ローズの回想は、最近、シェアスタジアムでの試合の前のことだ。「夏には124時間プレイしたこともあった。成績は入念に記録した。だけど、ジョセフのゲームへののめりこみ方は極端だった」

ジョセフはSTRAT-O-MATICをソリテアでプレイするだび、家族と住む2ベッドルームのアパートの違う場所を指定するのがお気に入りだったようだ。アパートはクイーンズのベイサイドにあり、プレイのときのいわばホームグラウンドである。「小さなアパートでね。ジョセフは家族を部屋から追い出してしまうんだ。ヤンキースの試合のときはリビングルームを使ってた。アパートで一番広い部屋で、つまりヤンキースタジアムの象徴というわけだな。ヒューストン・アストロズでプレイするときには、台所のテーブルの下にもぐってプレイする。なぜかって? そりゃあ屋根の下でプレイしなきゃ」1966年当時、ヒューストン・アストロズは唯一の屋根付球場、アストロドームで試合を行うチームだった。

ローズは友人の常軌を逸した行動は、ある小さな兆候だったのだなと思っている。「彼は今やロバート・ジョセフ博士で、マンハッタンで臨床心理学者をやっている」

ジョセフはAPBASTRAT-O-MATICに熱中する人々の行動心理学的なプロファイルを思う存分まとめあげた。

リッチマンはとっておきの話をしてくれた。

カナダ訛りの紳士がタクシーに乗ってSTRAT-O-MATICのビルに現れた。リッチマンは尋ねた。

「こんな所で何をなさってるんですか?ニューヨーク観光に来られたのでしょう?」

「いや、観光じゃない。孫にカードセットを買うために来たんだ」

「まさか。それではあなたは、9ドルのカードセットを手に入れるためにモントリオールから飛行機に乗り、ラガーディア空港でタクシーを拾って来られたというのですか?」リッチマンには信じられなかった。「どうして郵便で注文されなかったのですか」

「アメリカとカナダの間の郵便は時間がかかりすぎるんだ」

かくの如き献身と情熱はあらゆる分野に及んでいる。ボーデゴンは、APBAコーチ・プログラムを設けた。APBAコーチはゲームのプロフェッショナルで、いろいろな本業を持っている。社会の一線から引退した人々もいる。ウィザード・オブ・ザ・コーストのような店でゲームのデモンストレーションをしたり、客にゲームを教えたりといったボランティアに従事する。ボーデゴンはまた、数学の教材として学校にAPBAを採用してもらおうと取り組んでいる。

マサチューセッツの弁護士は息子を入れる大学の下見にAPBAを組み入れた。プラトン・エリアスと17歳の息子ボビーは8月初旬に9つの大学見学をしたが、その合間にランカスターでのAPBA 50周年記念トーナメントとコンベンションに参加した。

トーナメントでは、父親は1957年のブルックリン・ドジャースでプレイし第2ラウンドへ進んだ。息子は1977年のドジャースを使ったが、第1ラウンドで姿を消した。「息子は私を通じてAPBAに馴染んでいったんだ。私がゲームを教えた。今でも二人で対戦している」

オハイオのある教師はSTRAT-O-MATICを使い、放課後のプログラムで11歳の子供たちに確率を説明している。100人以上の子供たちがゲームのプレイに参加しており、その中には女の子も多い。リッチマンは言う。「女の子たちは実に上手い。それで男の子たちはイライラしていた」

STRAT-O-MATICは広く普及した文化の域に到達している。スパイク・リーは熱心なプレイヤーである。彼の映画『クルックリン』の冒頭のシーンでは、子供たちが玄関前の階段でSTRAT-O-MATICをプレイしている。「映画の中でゲームは6、7回出てくる」とリッチマン。

銀幕からホワイトハウスまでで、大統領ジョージ・W・ブッシュ以上の経歴を持つ元APBAプレイヤーは存在しない。1月の大統領就任前、家族でのプライベートなパーティーの席で、従兄弟のハップ・エリスがスペシャル版のAPBAセットを贈ったのだ。エリスはパーティーの前にボーデゴンに連絡をとり、こう伝えた。「ブッシュと私の兄弟や従兄弟たちは、子供の頃、APBAを際限なくプレイしたんだ」

ユニークな特徴を持つ記念セットがブッシュに贈られた。ブッシュ自身のAPBAカードがはいっていたのだ。エール大学1年生のときの投手としての成績をもとに作られたものだ。APBAは投手評価にグレード・システムを採用している。そしてブッシュに付与されたグレードは“D”――最悪であった。

大統領はそのジョークを楽しんだそうだ。

(以上)

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コメント

Take me to the Ball Game

投稿: WOOD | 2007.10.28 12:08 午後

ジョージ・ブッシュねぇ…
手元の本、「野球術」と「野球の物理学」には左投げ右打ちの一塁手と書いてあったのですが、投手だったとは。

投稿: 野球成績勉強家 | 2007.10.29 12:11 午前

訂正です。

訳文中、「エリアス・スポーツ・ビューロー」とあるのは、正しくは「エライアス・スポーツ・ビューロー」です。

投稿: 事務局長 | 2007.11.02 09:38 午後

>STRAT-O-MATICがAPBAのセールスを抜いたのは1980年代初めであ
>る。両社の統計によると、ゲームは「男のホビー」である。女性プ
>レイヤーは全体の5%にすぎない。

今気づいたのですが、ああ、そうするとF原夫人は、まれなる女性であったということになりますね。5%の女性、というところなのでしょうか。すばらしい!

投稿: 事務局長 | 2007.11.02 10:10 午後

さらに訂正

訳文中、「シェアスタジアム」とあるのは、正しくは「シェイスタジアム」でした。

投稿: 巨人軍曹 | 2007.11.08 08:57 午後

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