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2007.10.28

熱闘12球団ペナントレース制作の思い出

実は昔、APBA の日本版「熱闘12球団ペナントレース」制作に関わりました。

そのときのお話です。

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30代後半以上なら記憶されている向きもあるかと思いますが、APBAは日本ではホビージャパンがライセンスして、1984年から数年間、販売していました。で、そのとき、ルールを翻訳しコンポーネントを決めたのが、筆者です。あのときの経緯をお話しましょう。当時すでにSPI BASEBALLをプレイしていた私は、その日本版をリリースする企画をHJ社に持ち込んでいたのです。テストプレイも行い共同通信社に出版前のオフィシャルガイドのゲラをもらいに行ったりした記憶があります。SP社は提携関係にあり、多くのウォーゲームを日本で出版していましたし、問題はなさそうでした。
しかし、ある日突然、この企画はAPBAをライセンスしたもので進める、ということになってしまった。シャペル氏なる米国人弁護士が現れ、APBAを勧めたと聞いていますが(私も一度、代々木のHJ本社―まだ旧社屋の頃―でお会いました)、それ以上の理由はわかりません。これは想像ですが、おそらく米国で実績のあるゲームであるということが、経営者にAPBAを選ばせたのではないでしょうか?経営判断からいえば、リスクが少ないほうを選択するのは当然ですよね。で、今度は私に日本版のテストプレイとルール翻訳のお鉢が回ってきたのです。ボードウォーゲーム全盛期のあの頃、HJ社には多くのライターが出入りしていましたが、野球ゲームの話をしていたのは私だけだったようですし、なにしろ、その前に別の野球ゲームの企画を持ち込んでいたわけですから、当然そうなります。(TACTICS誌編集長のSさんは歴史への興味と造詣には深いものをお持ちでしたが、野球には全く関心がなく、またそうしたゲームがどれほど売れるものか、多少、懐疑的でもあったのではないかと思います。)
やがて、テストプレイ用のカードが届き、何回かプレイしてみました。で、思いました。これはシミュレーションとしては、どうかな、と。ゲームはスピーディに進みますし、けっこうエキサイティングなのですが、やはりなんといっても投手能力にバラエティがほとんどなく、打撃重視のゲームになってしまうことに違和感を覚えたのです。 ですが、APBAをライセンスして販売するという企画はテストプレイ以前にHJ社で決まってしまっていることですし、一介のライターである私がどうこう言う立場にはありません。それに、どういうゲームであれ、この種の野球ゲームを紹介するのは決して悪いことではないだろうとも考えていました。日本での類似のゲームは1球ずつサイコロを振るタカラの「プロ野球カードゲーム」しかありませんでしたし、それに較べればAPBAのほうがシミュレーション性は高いわけですから。
私は大学4年生で就職活動も始まっていましたし、HJ社でのゲームに関する仕事はこれが最後になりました。ルールブックを粛々と翻訳し、コンポーネントに助言をしました。ゲームのタイトル「熱闘12球団ペナントレース」というのも、私の案がそのまま採用されました。野球盤とちがってペナントレースができるというコンセプトのゲームは、そのときの日本には存在しませんでしたから、そういった思いも込めて考え出したものです。
翌年、私は転勤で地方へ移り、それ以降、一時的にゲームへの関心は薄れてゆきました。
あとから聞いた話ですが、「熱闘―」は予想外の売れ行きを示したそうです。90年くらいまで継続して製作されたようですが、突然、打ち切られたのは、どういう理由なのか、私にはわかりません。恐らく、テストプレイのときに抱いた危惧が現実のものとなったのかもしれません。
WIKIをみると、そんな気もしますが、想像の域を出ません。ただ、後継として「ビッグ野球」が製作され、2年ほど販売していたということですから、野球ゲーム自体の売れ行きが低落したということではないのでしょう。
いまだに自作カードでデータを更新してプレイしている人もいるくらいですから、やはりAPBAのプレイバリューは、相当なものなのでしょう。決して悪いゲームではありません。
余談ですが、日本版のテストカードにブレーブスの松永浩美もありました。が、米国人が作成したものですから漢字表記ではなくローマ字表記です。で「松永」はMATUNGAとなっていました。つまり、マツンガ、です。誤りです。これに大笑い。怪獣みたいだ、と。そしてこれ以後、内輪では苗字に「永」がつく人を、親しみをこめて「○ンガ」と呼ぶことが流行りました。たとえば、福永ならフクンガという風にですね。
また、どういう経緯でそうなったのか、25年ちかく前のことで記憶がはっきりしないのですが、と同じくらいの時期にSTRAT-O-MATICのサンプルセットをHJ社からもらっているのです。今でも手元にあるのですよ、これが。
(本記事の初掲載は2007年です。)

 

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